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トレイルランのプロになる

トレイルランを始めます。

2020/07/24

苦しさの先にあるもの

 

トレイルランをしている景色

「苦しい」

僕はいつも思っていた。

 

毎日毎日、同じ苦しみが僕の元へやってくる。

少しの苦しみではない。

尋常ではない苦しみだ。

 

心臓は通常の何十倍も早くなり、うまく息も吸えない。

喉もカラカラで、身体もだんだん重くなって立っているのもやっとのこと。

 

「もうこんな苦しみから逃げてやる」

これまで何度思ったことか。

 

別に誰かに強制されているわけでもない。

逃げることは簡単だった。

それでもまた明日には、苦しみの中へ入っていく僕がいた。

山を登るシューズ

物心ついた時から、走ることが好きだった。

走るといっても、好きだったのは長距離走。

 

小学校の頃のマラソン大会はもちろん、マラソン練習期間の2時間目終わりの15分休みに、サンプラザ中野の「ランナー」が流れる校庭を走るのをいつも楽しみにしていた。

 

まもなく少年野球に入り、さらに走るようになった。

僕らの少年野球の練習は厳しい方だったと思う。

真夏の炎天下でもヒモにつけたタイヤを引っ張りながらグランドを走り、試合に負けたときは遠征先から15キロ走って帰ってきたこともあった。

 

走っている時はきつかったが、それでもきつさの中にある楽しさが前へ走らせてくれた。

その楽しさはまるでサバイバルゲームのようで、「自分にどれだけ負けないかゲーム」を僕は楽しむようになっていった。

中学生になると、リトルの野球チームに入った。

小学校と同じポジションのピッチャーをすることになり、足腰を鍛えるために他のポジションの選手よりさらに走るように。

練習していた場所が山の中だったこともあり、ピッチャーの先輩に連れられ、山道をひたすら全力疾走する日々になった。

坂を登るのは、平地を走る何倍も負荷がかかり、苦しすぎて倒れたこともあった。

 

野球の練習は、火・木・土・日だったため、平日の空いている日は中学校の駅伝部に行くことに。

1500メートル走を1日何本も走り、苦しすぎて食べたものを全部戻したこともあった。

 

中学の後半から高校時代は、肩や肘、ほかにもたくさんのケガの連続で投げれない時期が続いた。

投げれない代わりにさらに走り込むようになった。

朝も昼も夜も、雨の日も関係なく僕は毎日走っていた。

 

「そんなに走っても意味ないよ」

「無駄な努力だね」

と笑われたこともあった。

 

それでも走るしかなかった。

走るという行為そのものが、今にもポキっと折れてしまいそうな僕を支えていた。

ケガが治り、また表舞台に立てる日を、僕は足腰を鍛えながら待っていた。

 

でもその時が来ることはなかった。

高校3年の春、左肘の大怪我で、僕の野球人生は幕を閉じた。

振り返ると、中学校の後半から高校時代は野球に関して辛い思い出ばかりだった。

 

思い出したくない時もあった。

だが辛い思い出ばかりではなかったと大人になって気づいた。

 

誰に何を言われても、走り続けた自分。

苦しくて、逃げ出したい時でも決して逃げずに逃げなかった自分。

何より”走り”という好きなことを見つけれた自分。

 

それは紛れもなく僕の自信になり、今の自分を支えていた。

 

「走る喜びを教えてくれてありがとう」

僕は”走り”に頭を下げた。

トレイルランのプロになる

 

つい先日、

「山を走りたいんだ」

と、抑えきれない衝動を舞に伝えた。

社会に出て走ることから少し遠ざかっていかが、また走りたい欲が湧き上がってきた。

 

次は自然の中を走りたくなった。

早速トレイルランの大会を調べた。

今年9月の大会にエントリーをする予定だ。

トレイルランのプロを目指す物語

平地から山に変わっても、走りへの僕の気持ちは変わらない。

むしろより自然の中に入っていけることに興奮している。

8月からの住むとこ探しの旅で、日本中の山を駆け上がりたいな。

 

これからも”吐くほど苦しい”の先にある楽しさを追いかけていこう。

山頂で笑う親子の写真

Photo by Mai & 溝口直己

Written by 溝口直己

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