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この体験を誕生日プレゼントに選ぶのは、世界で僕の奥さんだけ

2020/05/08

体験という本当の豊かさ

 

「早く楽にしてあげないと」

僕は何度も首元に包丁を持ってきては、暴れるあなたを抑えるのに精一杯で、最後の瞬間を楽にしてあげることができなかった。

左手であなたの頭から口元を押さえ、右手には今まで持ったことのないような大きな出刃包丁を持っていた。

もがき続ける間の、動きがおさまる一瞬を狙って僕は頸動脈に包丁を当て、重力に任せゆっくりと下に下ろしていく。

すると体の中の真っ赤な血が滝のように一直線に流れて行った。

僕は28歳の誕生日の日に、自らの手で一つの命を終わらせたのだった。

「どこに行くの?」

僕は何も聞かされていなかった。

こんなことは生まれて初めてのことだった。

「誕生日に連れて行き場所があるんだ」

そう聞かされただけで、何をするかもどこに行くかも、今日だけなのか何日も出かけるのか。

何も知らずに車に乗せられ、家を出発した。

 

ああ。

一個だけは聞かされていたんだ。

「当日はサバイバルよ」と。

僕らは京都嵐山を通り過ぎ山へと入って行った。

深い深い山へと進んで行くのを、ハイエースの後ろの大きな窓からぼーっと眺めていた。

運転席には小学生が遠足に向かっているときのように、いつもより嬉しさが溢れ出ている舞ちゃんがいた。

1時間半ほど走ったのだろうか。

周りに大きな田んぼが何枚も広がってきたなーっと思ったら

「着いたよ!」と舞ちゃんが言った。

目の前には見たこともない名前の看板があった。

「田歌舎」

 

その場所は農家民宿だった。

なんと誕生日に農家民宿に連れてきてくれたのだ。

嬉しくて泣きそうになった。

「民宿でのんびり過ごせるのかー。サバイバルというのは畑で野菜収穫のことだったんだな」

最高のサプライズを用意してくれた舞ちゃんに感謝の思いでいっぱいだった。

この時は人生初の、そして生き方そのものを変える数々の体験サプライズが起きるなんて、僕は想像もしていなかった。

 

「誕生日のサプライズでこれを選ばれるとは驚きました。でもそんな舞さんの旦那さんも大丈夫と思って待っていました」

山のようにゆったりと、優しさとユーモアを持ち合わせたスタッフのお兄さんが、僕に話しかけてくれた。

「大丈夫ってどうゆうことだろう?」

不安な気持ちと、でも高揚感の方が圧倒的に上がっていく僕が着いてすぐに案内された先にいたのは三羽の鶏たちたっだ。

「では早速いっちゃいましょう!誕生日サプライズ第一弾は鶏の屠殺体験です。やりますか?」

お兄さんが元気に笑顔で声をあげた。

僕は知らぬ間に、すごいところに来てしまったんだと思った。

でもやってみたいと心から思い「やります!」と声を出していた。

 

少し前から舞ちゃんと話していたことがあった。

お肉を食べることについてだ。

「同じ生き物なのに犬は食べないけど鳥や豚は食べるの?」

世界ではこんな大きなクエスチョンが投げかけられているのをここ2年で初めて知った。

動物性のものは全く食べないというヴィーガンという人たちがいるのも舞ちゃんと出会って知ったことだ。

でもそれを知って調べてみて、どうしてもお肉は生きる上で必要なものだと思っていた。

が、上の問いに答えることができない自分もいた。

 

その時に僕の大好きな方が上げていた記事に

「僕は自分で命をいただくことのできるものしか食べません。野菜や果物。そして大好きな釣りで釣った魚を自分でさばき、自分でいただく。以前、鶏の屠殺をしようとしたが僕にはできなかった。だからお肉は食べません。」と書いてあった。

 

これだと思った。

自分で感謝しながら命を終わらせ、さばき、いただく。

とてもシンプルな答えがあった。

舞ちゃんは旅に出る前に、大切なことを一緒に感じたいと思ってくれてこの屠殺体験を選んでくれたのだった。

怖さや不安は全くなかった。

自然の営みのように、頭の中は静けさを保ったまま進めていった。

足を縛り、木と木に掛けられた竹の棒に鶏を吊るしていく。

包丁の使い方を教わり、まずお兄さんが屠殺を見せてくれた。

一つの命の終わりを見届ける。

心の静けさはまだ続いていた。

 

次は僕の番。

教わった手順でゆっくり鶏に向かっていく。

左手で鶏冠から嘴を包み込むように顔を抑え、右手で首にある頸動脈に包丁を当てていく。

鶏が暴れて包丁を弾き飛ばされそうになる。

一歩間違えば、こちらが命を終わらされるとさらに気を引き締める。

暴れる合間の動きが止まった瞬間を見計らって、重力に任せ包丁を上から下へと降ろしていく。

すると赤い血が一本の滝のように流れ出て来た。

僕は鶏の命を終わらせた。

 

最後まで心は静けさで包まれていた。

僕は鶏の命をいただくことができるはじめの段階ができることを知った瞬間だった。

唯一、命を終わらせていただく最後に、首を折ってしまったことが心に残った。

次はもっとしっかり、もっと丁寧に、いや……何か違うな。

表せる言葉が見つからないが、命をいただくとはきっとそうゆうことなのだ。

舞ちゃんも続いて屠殺をした。

静かに、表情、特に目をしっかりと鶏に向けて命を終わらせた。

 

「ここからは楽しく行きますよ!もう目の前にあるのは食べ物です。美味しくいただくための作業をして行きましょう!」

お兄さんがまた元気な声で笑って声をかけてくれた。

鶏の足を持ち70度のお湯が入った桶にみんなで入れて、ザブザブと上下に動かしていく。

体の毛をむしっていくと薄ピンクの鳥肌が見えて来た。

「手羽先だ!」

僕は声をあげた。

目の前のものが一気に食べ物へと変わった瞬間だった。

お兄さんが微笑み、舞ちゃんも嬉しそうだ。

最後の行程まで終わった時、夜に食べることをワクワクしている自分がいることに気づき、そんな自分を嬉しく思った。

誕生日のサプライズに鶏の屠殺を用意してくれる奥さんなんて、いるのだろうか?

おそらく世界中どこを探したっていやしない。

そんな舞ちゃんと一緒にいることを本当に幸せに思う。

 

「旅に出る前に一緒に体験したかったの」

と嬉しそうに話す舞ちゃん。

本当にありがとう。

 

命をいただくということは大それたことではなく自然なことだと今でも思う。

ただ今までよりも感謝の想いは強くなった。

夜にでて来た鶏も何の違和感もなく、自然に食べることができた。

それがまた嬉しかった。

 

僕は本物の豊かさとは”体験”だと思っている。

どんなに高価なものを持っているでも、どんなに立派な家に住んでいるでもなく、人生でどんな経験をして来たか。

それが豊かさそのもの。

その考えを一番理解してくれているのが、一番近くのパートナーであることが僕の人生最大の幸せだ。

 

この後も初の山菜採り、初の雨の日のトレッキング、夜ご飯に狸・穴熊のベーコンや燻製、野草の誕生日ケーキなど初体験サプライズが続き、驚きと愛でいっぱいになった1日になった。

もっともっと書きたいことがいっぱいだが、永遠と続いて行きそうなので、また他の初体験は改めてゆっくり書いていくとしよう。

だが最後にこれだけはもう一度だけ書いておこう。

 

人生最大の幸せは、自分の信念を心から理解してくれているパートナーがいてくれることなのだと。

 

Photo & Written by 溝口直己

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