サバイバルファミリー
2020/04/05
サバイバルファミリー
「こんな日が、僕らが生きているときにくるかもしれない」
僕は一本の映画を見て恐怖でなかなか眠れなかった。
朝から猿山にハイキングして体は相当眠いはずなのに、頭は”どうやって生き延びるスキルを身につけていくか”をひたすら考えていた。
タイトルに”サバイル”」の文字が入っているその映画は、ジャングルでのサバイバルや、未確認生命体が地球に現れてのサバイバルなんかではなく、一般現代社会での出来事の話。
東京で平凡に暮らしていた家族がある朝、家中の電気、時計やリモコンなどの全ての電池、ガスまで動かなくなり、学校や仕事に遅刻だと慌てて家を飛び出すところから始まる。
外へ出てみると同じマンションどころか、東京全体の全ての電気類、車のバッテリーも建物のドアも全てが動かなくなっていた。
始めはすぐに戻るだろうと思っていたが、周りの人が水を求めて山へ移動しだしたり、東京では食料の確保も困難になってきて、生きるためのサバイバルが始まっていくという物語。
一見、そんなことはありえないと思う出来事だが、今コロナという突如現れた一つのウイルスで世界が混乱させられているように、この話もとても現実味があるように僕は感じた。
高級時計や、ブランド品はもちろん、お金まで価値を失い、都会で食料を得る手段は自分の食料か飲み物との物々交換。
田舎へ移動すると、山で食べれる山菜を見つけたり、生きている動物を食べれるように解体していくサバイバル能力が食料を得る上で必要になった。
最後まで見終わり、流れてきたエンディングと終わりの背景がまた、これからを考える時間を作ってくれているようだった。
頭では分かっていたはずだった。
日本は世界でもトップクラスの自然災害大国。
こんな小さな島国で地球上の1割の活火山が集中し、世界中の地震の1割を占めるという驚異的な数字。
日本の災害被害額は、東日本大震災以前でも世界の総被害額の1割になるという。
まだまだ資本主義社会が優位で、地球が破壊され続けている状況。
さらに自然災害が増えていくかもしれない世の中で、「これからはサバイバル能力が必要になる!」と分かっていたつもりだった。
そう……つもりだった。
この映画を見て、気づかされた。
僕は自分の力で生きていくことの本当の意味を何も分かっていなかった。
自分は生まれたての赤ちゃんなのか?と思うくらいに何も分かっていなかったことを知った。
今の自分でいることに本当の恐怖を感じた。
そして同時に思った。
「今日この映画に出会えてよかった」と。
恐怖というのは自分が無知だから、やってくるものだ。
まずは自分の無知を認めて、本当のサバイバル能力を知ることから始めよう。
知って、経験して、失敗してまた経験して。
そして自分のものにしていく。
それしかない。
というより、それが最善の方法だと思った。
僕はこれから旅に出て、家族のサバイバル能力が上がっていくことにとてもワクワクしている。
コロナが無事終わりを迎えても、もう未知のウイルスは出てこないという保証はどこにもない。
コロナが出始めた時、東京ではあっという間にスーパーから物がなくなったと聞いた。
サバイバル能力は田舎で暮らす人よりも、今は都会で暮らす人の方が必要なのではないか?
「サバイバルファミリー」
面白いのでぜひ一度見てみてください。
Written by 溝口直己