その時間は、今まさに用意された
2020/04/02
これからの時代を生きていく道しるべを
「そういえば家族みんなで、私が小さい頃の写真って見たことなかったなあ」
お昼ご飯を食べて一服している時に、舞ちゃんがふとつぶやいた。
今、世界のどこに言ってもコロナの話が飛び交っている。
日本以外の多くの国では外出禁止令が出て、外にも出られないという。
コロナが流行し始めた最初の時期は、テレビもないしほとんど情報が入って来なかったが、さすがにこれだけ深刻化していくと、少しづつだが入って来た。
インスタグラムではお家時間というのまで作られ、これから自粛が進み、家にいる時間がより長くなると思った。
何をしようかなーと考え始めた時に舞ちゃんが言ったのが
「家族みんなで、過去の家族の写真って見たことなかったなあ」
だった。
過去を思い出すと僕もなかった。
「まさか、そんなはずは……」
もっとしっかり過去を遡る。
母は本当に写真を撮るのが好きだった。
うちには確か40冊以上のアルバムがあって、ひとつのクローゼットはほぼアルバム専用。
普通の家族よりもおそらく写真はたくさん残してくれていた。
それでも家族みんなで写真を見た記憶はどこにもなかった。
それは僕にとって衝撃だった。
もちろん自分が小さい頃の家族の写真はこれまで見返したことはあった。
だがそれは、中学や高校の頃に付き合っていた彼女が遊びに来た時や、舞ちゃんと結婚し赤ちゃんができて、自分はどんな子どもだったのだろうと見た時だった。
僕は両親や、兄弟と一緒に見返したことは一度もなかったのだ。
だから自分の赤ちゃん時代がどんなだったかは詳しく聞いたことがなかった。
みんなは自分の両親や兄弟、子どもがいる人は子どもを含めた家族みんなで、ゆっくり昔のアルバムを見返したことはあるだろうか?
おそらくない人の方が大多数を占めると思う。
「あなたが赤ちゃんの頃は全く寝てくれなくて、おっぱい飲ませながら壁に寄り添って寝ていたのよ」
僕はあかりちゃんが生まれてから、はじめて自分の赤ちゃんの頃を知った。
「布おむつ、あなたが赤ちゃんの頃に使っていた物が残っているわ」
と27年前の布おむつを渡してくれた時も、僕が布オムツで育ったなんて今まで知りもしなかった。
でもそれは、僕があかりちゃんが生まれた時に母がいてくれたから聞けた話だ。
人はいつ死ぬか分からない。
50年後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。
コロナでの最後は、家族でも側にいることができないのだと知って声を失った。
「もっと早くに、子どもの頃の家族の話とか、お父さんは若い頃何をやっていたのとか、たくさん聞きたかったな」
そうあかりちゃんが思うのは、いやだなと思った。
「あかりちゃんははじめての言葉は”おっけー”だったんだよ」
「離乳食の一時期は、全部ご飯を投げ落として大変だったこと覚えてるかな?」
「1歳から家がなくなって正直どう思った?」
何歳の時でもたくさん話したいな。
写真を見ながら家族のこと、兄弟のこと、そして自分のことを知るのは、これ以上ない至福の時間だと思う。
そして、その時間は今まさに用意されたのだ。
コロナでの外出自粛で、家にいる時間が増えたことで。
ぜひ実家に住んでる人、アルバムを引っ張り出し家族みんなで久しぶりに見てみよう。
子どもがいる人、携帯の中にある家族の写真を、コンビニで一枚プリントして話てみよう。
大好きな彼、彼女といる人も出会った頃の写真を見返しながらニヤニヤしてみよう。
今外に出れない状態だからこそ、もっと大切な人と話ができたらいいなと思わせてくれた舞ちゃんの言葉だった。
その家族の時間がきっと、これからの時代を生きていく道しるべを指し示してくれるコンパスになってくれる。
Photo & Written by Live is journey 溝口直己