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嬉しくて笑う赤ちゃんの写真

嬉しそうに海を叩く赤ちゃん

2019/12/02

嬉しそうに海を叩く赤ちゃん

 

「やっぱりダメかあ」

今回もやはり好きにはなってくれなさそうだ。

体に触れると、すぐにしかめっ面。

そこから声を大きくして泣いてしまう。

奄美大島の海の前で撮る写真

僕らは海に来ていた。

場所は奄美大島の離島の加計呂麻島。

妻の師匠のヨガのリトリートに家族で参加し、この島へやって来た。

 

海が遠い京都でも、月に何度も行くほど海が好きな僕ら夫婦。

長女にも海が好きになってくれたらいいなと思い、海に行くたびに一緒に入ろうとしている。

海に初めて足をつけた生後4ヶ月の赤ちゃん

長女は首が据わった4ヶ月頃、梅雨前の日差しが気持ちいい日に、初めて海に両足をつけた。

波がざばーん、ざばーんと足に当たるたびに、彼女はほんの少し膝を曲げて戸惑った顔をしていた。

特別嫌そうな様子もなく、

「これなら次は、水着を着て一緒に海に入れそうだな」

嬉しそうに妻と会話したのを覚えている。

初めて買った赤ちゃん水着で海

彼女に似合う黄色と水色の可愛い水着を買いに行った。

4ヶ月から使える浮き輪まで揃え、準備は万全。

しかしそれから何度も海に行ったが、一度も笑顔にはなってくれなかった。

 

大人の膝あたりの深さまで、長女を抱っこして海の中へ連れていく。

そこでゆっくりゆっくり長女を海のなかへ降ろしていく。

 

彼女の顔がだんだん歪み、笑顔が消えていく。

 

「ギャー!」

と泣いて、海なんかいいから早く出してくれと言わんばかりの表情をしてきた。

それが何ヶ月も続いていた。

加計呂麻島の朝焼けと海

今回の加計呂麻島もまた海に入ったら泣いてしまうのかなと思っていた。

 

初日は浮き輪をしながら海に入ると、いつものように泣き叫んだ。

しかし、毎日海に入っているうちに少しずつだが変化が見られてきたのだ。

 

足に波が当たると、嬉しそうにパタパタ砂浜を足踏みした。

さわろうとしているように、海に手を伸ばし始めた。

 

そしてついに4日目の最終日、ついに海に入れたのだ。

抱っこをしながら、恐る恐る長女の肩くらいまで浸かる深さまで行った。

すると長女は溢れんばかりの笑顔で、海面を何度も何度も叩いていた。

顔に塩水がかかっても、目が少し赤くなってきても

「私、海に入れたよ!」

と体全身を使って嬉しさを表しているように海を叩いていた。

 

僕らも彼女につられ、嬉しさのあまり体が揺れていた。

たくさんたくさん笑った。

 

その時の感動は、今でも目に焼き付いて鮮明に覚えている。

嬉しくて笑う赤ちゃんの写真

子どもの成長を見守ることはひとり旅と同じようなものだ。

 

知らない土地に着くと、ワクワクと不安が同じくらいの大きさで心が揺れ動く。

一泊して、少しは慣れてきたかなと思ったところで、財布を盗まれ泣きそうになる。

残りの少ないお金で立ち寄った屋台で、美味しいご飯を見つけて元気を取り戻す。

乗ろうと思っていた夜行列車が5時間遅れて、また心折れそうになる。

その遅れた夜行列車のおかげで、列車を降りた時に運命的な出会いをした。

 

こんなことがひとり旅ではしょっちゅうある。

 

嬉しいことがあったり、悲しいことがあったり。

前に進んだり、後ろに下がったり。

 

それが旅であり、子どもの成長だと思う。

大事なのは「今」を楽しめるか。

 

海外で財布を盗まれたら「今日をどうやって生きていこう?」と五感がフル回転してくれるから、生きるためのサバイバル能力が身につく。

 

それと同じで、子どもの成長を側で見守るのも「今日はどう成長していくのだろう?」

と私たち親の五感もフル回転する。

それは子育てのサバイバル能力が身についていくのだと、父になって初めて感じる。

そしてその成長を肌で感じることができた時には、涙が出るくらい嬉しい。

 

だから子どもの成長は見逃してはもったいない。

長女が生まれて毎日一緒にいるが、彼女は同じ顔の日は一日もない。

そして僕から彼女に対しての同じ感情の日も一日もないのだ。

加計呂麻島のビーチで子供写真

「誰かの成長を間近で見れる」

こんなに幸せなことはないだろう。

 

バイトの後輩がメキメキ成長する姿を側で見るのはとても嬉しいものだ。

しかしその嬉しさとは比にならないくらい、子どもの成長は感動する。

 

彼女は仰向けからうつ伏せができるようになり、今はずり這いまでするようになった。

それは誰が見ても分かるだろう。

でも時期が来たからすんなりできるようになったのではない。

「先週まで寝返りできてたのに、できなくなってる」

「夜寝てくれていたのに、何度も起きるようになった」

そんな数えきれない一進一退を繰り返しながら進んでいく。

 

大変なことは百も承知。

でもその進んだり戻ったりがあるから、より成長が嬉しいのだと思う。

大きな成長の中には、小さな小さな無数のドラマがあるのだ。

そのドラマはどんな名作の映画にも負けていない。

 

子供をすぐ側で見れるのはせいぜい小学校に入る7歳頃まで。

僕は、その時期には彼女に独り立ちしてほしいと考えている。

 

だから少しでも多くその時間までの子供と一緒にいたい。

少しでも多くのドラマを見てみたい。

 

仕事はもちろん大事だ。

だが、子どもの成長を見逃すのはひとり旅をしないほどもったいないと思う。

 

仕事中心で生きるのか、自分が興味あることを中心にして生きるのか。

 

それは初めての土地で、ガイドブックに載っている安定の道を進むか、はたまたガイドブックに載っていないワクワクする道を進むか選ぶ時のようだ。

加計呂麻島の海の前の5マイルで遊ぶ赤ちゃん

 

Photo & Written by 溝口直己

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